※2020/6/9 追記
思い上がっているにも程がある「すごい文章」なので、恥ずかしいが、自分の過去の人格の一つなので投稿しておく。
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最近、会話の中で自分の「理」が否定されることが、「また」多くなってきた気がする。
というのも、中高時代から大学一年にかけては、様々な物事に対する、自らの「理解されない考え方」を認識していながらも、自己存在の芯となっているモノであるため、発言をする内に変えることができなかったという経緯がある。
多数に否定されているから、自分の「理」が確実に間違っている、とは考えていないが、何か発言するたびに否定されることが多いということは、自己主張の強い人々が集まっている環境とはいえ、少なくとも斜に構えすぎているのは間違いなかった。続きを読む
思い上がっているにも程がある「すごい文章」なので、恥ずかしいが、自分の過去の人格の一つなので投稿しておく。
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最近、会話の中で自分の「理」が否定されることが、「また」多くなってきた気がする。
というのも、中高時代から大学一年にかけては、様々な物事に対する、自らの「理解されない考え方」を認識していながらも、自己存在の芯となっているモノであるため、発言をする内に変えることができなかったという経緯がある。
多数に否定されているから、自分の「理」が確実に間違っている、とは考えていないが、何か発言するたびに否定されることが多いということは、自己主張の強い人々が集まっている環境とはいえ、少なくとも斜に構えすぎているのは間違いなかった。続きを読む